第44回全国大会(岩手大会)研修講演

【 研 修 講 演 】

2023年10月23日(月)
於・岩手県遠野市・あえりあ遠野

NPO 日本アイバンク運動推進協議会
副理事長 L月居吉彦
(331-A・札幌スノートピアライオンズクラブ)

ライオンズクラブとアイバンク推進運動、その経緯と現状 №1

1) 岩手県での全国大会開催の意義

★スズラン給食

1965年・昭和40年、盛岡ライオンズクラブの提唱で山間辺地の欠食児童が摘み取ったスズランを東京近辺のライオンズクラブが買い上げ、給食を実施(スズラン給食)。これが発端となって全国で完全給食制度が実現。

★30数年ぶりの東北開催

全国アイバンク運動推進協議会、と言っていた時の1987年・の第10回目の「全国大会」が福島市で開催されて以来30数年ぶりの東北での開催。

★初めての角膜移植は岩手から

1957年・昭和37年10月、岩手医大・眼科の今泉亀撤(きてつ)教授が死亡者の角膜を地元の岩手県立も学校の生徒(14歳・女児)に移植。手術は成功、日本での角膜移植手術の第1号となったが…、ある新聞記者がこの移植手術は「刑法」の「死体損壊罪」(3年以下の懲役)に抵触するのではないかという告発記事を掲載した。これが発端となって国会で審議され、翌年1958年・昭和38年4月に「角膜移植に関する法律」が公布された。

★初めての献眼登録者はライオンズ会員

告発記事が出た1957年、日本全体が302地区だった時の5人目の地区ガバナーであり、ライオンズクラブとアイバンクのかかわりを熟知していた原勝巳(岡山ライオンズクラブ)は告発記事を機に、岡山労災病院に自らの死後の献眼を申し出た。実質的にはこの献眼が日本での登録第1号となった。
※330~337の8複合地区となったのは1976年7月

ライオンズクラブとアイバンク推進運動、その経緯と現状 №2

2) ライオンズクラブとヘレン・ケラー、そしてアイバンク運動

★1958年、福岡ライオンズクラブが献眼登録運動を開始

「角膜移植に関する法律」が公布された1958年、早くも福岡ライオンズクラブが献眼登録運動を開始したが、そもそも、ライオンズクラブのアイバンク運動はヘレン・ケラー女史の記念講演での呼びかけが発端…。

★ヘレン・ケラーの呼びかけ

1925年(大正14年)6月、アメリカ・オハイオ州での第9回のLC国際大会の記念講演者として招かれたヘレン・ケラー女史の呼びかけが発端となって「盲人保護活動」がライオンズクラブの奉仕活動の原点となった。

※予防の施されない視力障害者もなく、無学な張力・視力の障害児もなく、手助けもされない盲目男女もいないような時代が、一日も早く来るようにしてくださらないでしょうか?
この暗闇をなくする運動における、盲人たちの騎士に、自らなっていただけないでしょうか?
あなたのランプを もう少し高く掲げてください!見えない人々の行く手を照らすために!
※この講演に呼応、ケラー女史を名誉会員に、サリバン女史を副名誉会員とした。

★白い杖

1930年にイリノイ州のライオンズクラブの提唱で目の不自由な人々へ白い杖を贈る運動が始まり、やがて全米へ、そして世界に広まった。

★アメリカのアイバンク…現在、アメリカでは年間4~5万人(9万眼以上)の献眼者があり、4万件以上の角膜移植が行われている。
※提供のほとんどは眼球ではなく、角膜そのもの

★日本のライオンズのアイバンク運動の実情…ライオンズクラブ国際協会では、「視力保護」や「失明予防」事業を重点とし「アイバンク」は見聞きされなくなっており、そのためか、日本ライオンズクラブにおいては、「アイバンク」関連の活動は極めて鈍化している。

ライオンズクラブとアイバンク推進運動、その経緯と現状 №3

3) 日本におけるアイバンク運動推進の経緯と現状・課題


★献眼運動の高まり

東京で初めてのライオンズクラブ国際大会が開催された年(1969年・昭和44年)の前後、アイバンク(眼球銀行)の設立につながる献眼運動が高まった。

★沼津で初めてのアイバンク全国大会

1971年(昭和46年)3月、静岡・沼津ライオンズクラブのL勸山弘が率先して、第1回アイバンク運動全国大会が沼津市で開催され、全国から千人に及ぶライオンが参加。以降、倉敷、北九州などでも全国大会を開催、1977年(昭和52年)に、全国有志のライオンズクラブとそのメンバーを会員とする「全国アイバンク運動推進協議会」が発足、1994年には日本アイバンク…と名称変更、2004年にはNPO法人化。

★8複合レベルでの動き

1983年5月、京都にて「第1回アイバンク・シンポジウム」を開催、アイバンク関連委員会もあったが…、「シンポジウム」も2000年以降に自然消滅。

★国内の献眼登録・提供状況

現在、全国には各都道府県等54のアイバンクがあり、毎年2万人を超える献眼登録者があり、2003年(平成15年)には全国の献眼実登録者117万人となり、実際の献眼者も1.000人超(2.000眼)という時期もあったが、以降、登録者数、実際の献眼者も横ばい・減少傾向にあり、一昨年2021年・令和3年度の国会報告では505人(937眼)の献眼があり、814例の角膜移植が行われた。
※公財)日本アイバンク協会によると、昨年2022年の献眼者数は833人。※待機患者は4.000人超。

★アメリカに比するとあまりにも貧弱

人口が約3億人弱のアメリカでは年間4~5万人(9万眼以上)の献眼者。それに比すると、日本の献眼者数は一桁も少ない。なぜ?…
※ライオンズクラブの全日本レベルでの取り組みに至らなかった…
※臓器移植法(「臓器の移植に関する法律」・1997年10月施行)の影響
※眼球ではなく「角膜」提供への転換が不十分(輸入角膜問題)