素晴らしい人間愛〜好意と善意のバトンタッチ〜

いよいよこれからおじいさんの目をいただくという場面に遭うわけですが、そのお医者さん、若いのに似合わず非常に態度のすばらしい人で、ご遺体に向かって最敬礼をするんですネ。そして生きている人に対するように、「おじいさん、これから目をいただきますよ」と言い、防水したふろしきみたいなもの、小さいシーツのような布の真ん中に穴があいていて、そこが目のところに来るようなものをご遺体の顔にかぶせました。
さあ、いよいよ摘出の手術がおっぱじまるぞというんで、こっちは初めてですから、目をまん丸くして見ておったわけです。と、何のことはない。亡くなってからもう何時間もたってますし、高齢者でもあったせいもあるんでしょうけど、一滴の血が出るわけではない。簡単に取っちゃうんですネ…。そうして摘出した眼球を桃色の保存液が入っている瓶に入れるわけです。もうひとつの片眼も、同じようにして瓶へ入れる。それで蓋をして、目は冷温保存でございますから、その瓶を、ざくざくにした氷がいっぱい入っているジャーに人れ、パチンと蓋をして、持ち帰るのです。

ご遺体の目のほうはどうするかというと、プラスチック製の義眼ですが、きれいな義眼を装着してまぶたをふっくらさせ、上まぶたと下まぶたを縫合します。そうすると、外見上は、全然わからないですネ。いかに専門家といえども、こんなにうまくいくものかと、本当に、見惚れちゃいました。

暑い盛りでございましたから、遺族の方も、「先生、遠方から来ていただいて、冷たいものの一杯でも召し上がって、のどを潤してお帰りください」と言ったんですが、「いや、そうはいかない。今、信濃町の慶応病院では、私の1分でも早い帰りを待っている患者さん2人がいるのです。故人の遺志をきちんと活かすためにも直ちに帰ります」と言うのです。そのときはもう零時近かったから、直ちに出立しても東京・信濃町の慶応病院に帰着するのは4時か4時半、真夏のことですから、夜が白々と明ける頃です。
病院に帰着次第、「間髪を入れず2人の人に片目ずつ移植するんだ」と言って、門前に待たしてあった車へすぐ乗って、箱根の険を越えて帰って行った。

私は、事のなりゆきを傍からじ−っと見ておったわけですが、いやあ、すばらしい、その間に1円のお金の受渡しもないんですよネ。『善意と好意、好意と善意のバトンタッチ』によって、ず一っとこの話が進んでって、究極的に2人の失明者の目に光が戻る。
こんなすばらしい仕事がほかにあろうか。
この世知辛い打算的な世の中に、お金の匂いは一つもないんです。
本当に善意だけでバトンタッチが行われている。こんなすばらしいことが世の中にあるものかと、非常な感銘を受けたわけでございます。
早速、私の所属する沼津ライオンズクラブヘ持ち込んで、これをクラブの活動としてやってくれないか…とお願いをして、で、沼津ライオンズクラブがそれを取り上げてくれたわけでございます。それがライオンズクラブにおけるアイバンク運動のとっつきでございます。

それから以後は、今日ここにお集まりくだすった大勢の皆さんをはじめとするライオンズの方々の、本当に昼夜を分かたぬ努力によって、今日なんと登録者が全国で107万人、IOO万人を突破いたしました。しかし、その間に36年という歳月が流れたわけでございます。
そして、今現在、大体年間1,000人の献眼者がございます。約1,000人の献眼者があるということは、両眼に換算すると2,000眼あるということです。しかし、中には伝染性の菌を持った方もいらっしゃるだろうし、いろんな病気を持った方がいらっしゃるので、実際に使われているのは1,600眼から 1,700眼。だから1,600から1,700人の失明者に光が回復されているということでございますが、まだまだ足りません。ここに、今後の皆様のご努力に期待するわけがございます。

話は戻りますが、私にアイバンクの光を与えてくれた野坂清太郎さんというおじいさん、偉かったと私は思うんです。89歳のよぼよぼのおじいさんですから…。しかも、それがある特定の人を助けるために与えたならば、まだ話はわかる。誰のところに行くかわからない・・・これはもう大きな人間愛という言葉で表現する以外にない行為だと私は思います。

元来、愛情というものはある特定の人に向かって注がれるものです。ところが献眼の場合はそうじゃないんです。提供した角膜の行方はわからないんです。
遺族にも知らせてはもらえません。特定の誰かではなく、しかし、どこかにいる不特定の誰かが助かればいいという、しかも無償の愛、これはもう本当に、夫婦愛や師弟愛などよりももっと大きな愛情、「人間愛」、これ以外の言いようはないんじゃないでしょうか…。

限りある命を超えた奉仕

私は寺の住職を55年やっております、その間に2,700人ぐらいの方の最後をお見送りいたしました。その住職50年の結論はただ一つ…。
「人間が限りある人生を終わったときに、人々の心に何かを残していけば、それは死ではない」この一言でございます。もう一遍申し上げます。「人間が限りある人生を終わったときに、人々の心に何かを残していけば、それは死ではない」人間というものは死によって一巻の終わりと、こう思っている方が大勢いると思います。ところがそうじゃない。

アイバンクヘ献眼をしていっていただくならば、その一生使わせてもらって、ご用済みになった角膜は、また別の人の眼(まなこ)に移植されて、その人に光を与え、そして21世紀を生き続けていくことでございましょう。
だから私どもライオンバッジをつけている者が生きている間に奉仕活動をするのは、これは当たり前のことです。しかし、それだけではなく、限りある命を超えて、尚、奉仕の灯を高く掲げ続けていきたいものであると、かように思うわけでございます。死してなお朽ちざるものを残していきたい、これが今、私の考えておるところでございます。それが限りある人生を終わったときに、人々の心に何か残していくことができる、それならば死はまったくの終わりではない。F・ケタリングという人の言葉にこういう言葉があります。
「天空に届くほどの偉大なる業績も、だれかが最初にその構想を夢み、だれかがその可能性を信じ、そしてだれかがその実現に努力して初めて達成されるものである」……
これをもちまして私の話を閉じたいと思います。ありがとうございました。